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江戸時代

まちづくりのはじまり

かつて江戸城付近は満潮になると海水が入るような湿地で、低地ゆえに水害に弱く、たびたび洪水に悩まされました。
そこで家康は大きな都市の計画を思い描きました。 まず土地を埋め立てます。次に舟が通れる水路を作りました。
荷物を運搬するのに 主に用いられていたのは舟だったため、水路に沿って町が作られました。
また、欠かせなかったのが飲料水の確保になります。麹町方面から流れていた自然の河川を堰き止め、
貯水池を作りました。
しかし、海水が抜けきらずに飲料水としては不向きな水であったため、上水工事を行います。
江戸の中の水源でも特に質の良い「井の頭池」に目を付け、この池から水路を造り、江戸城に水が流れるようにしたのが、江戸で初めての水道になります。
飲料水が確保された後、次は交通の便を良くするために様々な航路を作成しました。(東廻り航路、西廻り航路など)
そして町人を呼び寄せ、職人や商人を増やし、最終的には武士中心の政治都市にする計画を立てました。
生活に欠かせない医師などを各地から呼び寄せ、人々が生活しやすい環境を整えます。
また、賃料が安い集合住宅や長屋のような住宅地が誕生し、
江戸の町は徐々に人が増え、大きな都市へと生まれ変わります。
近代国家の始まり、江戸時代。

明治時代

武家政権から天皇新政へ

約700年続いた武家政権が終わりを告げ、西洋の文化が流入したことで人々の暮らしは一変していきます。
かつては、江戸時代の将軍が日本を支配していた武家政権から天皇が新政をとる時代へと転換していきます。
これをきっかけに、首都が京都から江戸に移され、かつての江戸城は東京城へと名前が変化していきます。
しかし、約1年半にも及ぶ戊辰戦争から酷く荒れ果ててしまい、武家地は荒廃し、雑草が生い茂るような状態でした。
新しい改革を起こすために、先進国の国情視察のため、岩倉使節団が派遣されます。
木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら総勢107名が約2年に渡り、アメリカやイギリスなど14ヵ国を巡り、近代国家の
技術や文化を学び、伝えていきます。
この視察は、東京の近代都市化に多大なる影響をもたらしたといわれています。
さらに鉄道、郵便、電信、電話などの西洋の交通・通信手段が導入され、人や物資・情報の流れは格段に速く進化され、量も増していきます。また人々の衣服や住宅、文学や演劇など、
生活や文化の面にも欧米文化の導入が推し進められました。
町にはガス灯が灯り、夜でも明るくなり、生活環境がさらによくなります。道には馬車が走り、服装は着物から洋服姿になり、武士の象徴だったちょんまげは切り落とされ、ザンギリ頭(まげをつくらずに西洋風に短く切った髪)が
主流になってきます。

大正時代

技術革新

15年と短いながらも「第一次世界大戦」、「関東大震災」や「大正デモクラシー」が盛り上がる激動の時代が
大正時代です。
関東大震災で火災による被害が甚大だった影響で下町がの街並みを失う一方、
震災の影響が総じて少なかった丸の内、大手町地区にエレベーターの付いたビルの建設が相次ぎ、
大企業や外資系企業のオフィス街が誕生していきますが、現在もたくさんの方が就業しています。
下町で焼け出された人々が世田谷、杉並等それまで農村であった地域に移住して、
新宿、渋谷を「副都心」へと成長させていきます。
また、震災で鉄道が被害を受けたこともあり、人々は交通手段が「自動車」へとシフトしていきます。
これまでは上流階級や富裕層の方が主に自家用車を使用していましたが、中流階級を中心に輸入車を中心とした
自家用車の普及も始まりました。

昭和時代

戦争と激動の時代

長く続いた昭和時代、第二次世界大戦や昭和恐慌、GHQによる統治など大きな出来事が数多くあり、
日本の政治や文化、人々の生活や価値観が大きく変わった激動の時代でした。
戦後は食糧が不足していたり、どの家庭も生活が不安定なこともあり、負の時代が続いてきました。
しかし、戦後になると生活は急成長を遂げます。
木造住宅がモルタル造りへと変化していき、アパートが盛んに立ち並ぶようになっていきます。
また、鉄筋コンクリート構造の大きな集合住宅も建ち始めます。
そこは「団地」と呼ばれ、なんと応募倍率は10倍を超えており、庶民の憧れの住宅でありました。
団地が人気である理由として考えられるのは、
水洗トイレ、ガス風呂に代表される先進設備が備え付けられている事があげられます。
当初は水道やガスも敷かれておらず、井戸水を汲み上げ、土間の竈で煮炊きを行っていた時代、
朝は台所の流しで家族が順番に顔を洗っていたといいます。 風呂のない家がほとんどなので、
週に何回か銭湯に通っていたそうです。
またトイレは汲み取り式が主流だったので、団地での生活の質はかなり高かったといえます。
また、三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)や3C(カラーテレビ・自動車・クーラー)などの
耐久消費財が一斉に普及していったそうです。
更に、自動で炊ける炊飯器が登場し、当時は「炊飯器は主婦を怠け者にする」と言われるほど主婦の味方になる
家電製品が増えていきます。


1600年代まで小さな村であった東京。
震災や戦争で焼け野原になっても、そのたびに人々は復興に取り組み、現在も発展し続けています。

平成時代

経済の低迷

激動の昭和が終わった平成時代。
1989年はバブル景気の絶頂にあったが、ほどなくして株価や地価のバブルは崩壊していきます。好景気から不景気に変化していく時代でした。現代の基盤であるパソコンや携帯電話などが全国的に広まっていきます。 平成の日本は、たびたび大きな自然災害に見舞われ、たび重なる海外経済のショックにも見舞われました。1995年に阪神・淡路大震災と
2011年の東日本大震災では人的・物的にもたくさんの被害が出ました。
大規模な自然災害は経済活動にも影響を及ぼしたが、
総じて日本経済の活動水準は比較的短期間で被災前の水準に 復帰しました。
また、バブル崩壊による経済の混乱だけではなく、少子化、人口減少が顕在化していきます。
日本の高齢化、少子化は進み、現代の問題点はここから始まるかたちとなります。

令和時代

未来への懸念

全国の人口は今後減少していく中で、東京の人口も2020年をピークに少しづつ減少を始めていきました。
他の地域と比べて東京の減少ペースは緩やかですが、地方の人口減少がとくに深刻です。
これからも東京への人口集中が続くものと見込まれています。

一方で、都内の高齢者人口比率は今後25年で1割以上増え、2035年には約3人に1人が65歳以上という時代を迎えます。
また、子どもの人口減少も止まることはなくこれからの日本の少子高齢化社会に対応するため、都市に集中するのを防ぐためにも 国や地方自治体、企業などが力を合わせ、地域創生を行う必要があると考えます。





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