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池田屋事件


1864(元治元)年6月、近藤、沖田総司隊と土方歳三、井上源三郎隊の二手に分かれて浪士狩りに出発した。
もともと会津藩と約束をしていたが、約束の時間になっても来ないため新撰組のみで出発。
鴨川をはさんでひしめく御池、四条間の旅館、料亭を一軒一軒に「御用改め」を開始した。
市中見回りの新撰組は、尊攘派の実力者で肥後藩士・宮部鼎蔵ミヤベテイゾウの潜伏先を探すために、四条小橋の薪炭商・マス屋喜右衛門宅を襲撃、近藤と土方が直々に喜右衛門を拷問にかけ口を割らした。
すると、喜右衛門は偽名で、商人の正体は近江の志士・古高俊太郎と分かった。
さらに古高は
「近く御所を焼き撃ちして佐幕派公家中川宮を捕らえ松平容保を惨殺し、一年前の八・一八の政変の仇を討つ作戦が進行中で長州、土佐、肥後の浪士が、続々と京都に潜伏している」
という大謀略を打ち明かした。


近藤は早速松平容保に報告し、大捜索となる。
会津藩は3000人を出勤させ、新撰組は最前線で活躍する手はずだった。
だが、まさか単独で出勤することとは思いもしない。
近藤隊も土方隊も虱潰シラミツブしに捜索したが、密会場所はなかなか見つからない。
やがて三条小橋の西にある長州藩の定宿の池田屋に踏み込んだ近藤隊。
そこで「御用改め」を開始すると、主人の池田屋惣兵衛は慌てて二階へ駆け上がる。
近藤は沖田と永倉、藤堂を従え、惣兵衛に続く。
この瞬間、新撰組結成以来、真剣を交わせた最初で最後の大捕り物が始まった。
その時、二階の座敷では宮部ら肥後藩、播州の大高又次郎、長州の廣岡浪秀など討幕派浪士の精鋭20人余りがまさに御所襲撃の密談を終え、酒を酌み交わしている最中だった。
近藤はひるむことなく愛刀虎徹コテツで斬りかかり、沖田の剣も冴える。
新撰組の中でも剣の立つメンバーばかりだったが、相手は20人余り。
数での劣勢は明らかだが、気迫に格段の差がある。
斬り合いの舞台は二階から中庭に移った。
しかし、沖田が突然血を吐いて倒れ、藤堂も斬られて重傷。
永倉も刀を折られ、近藤の虎徹の刃もボロボロだった。


そこでようやく騒ぎを聞きつけた土方隊が駆けつけ、会津藩も彦根、加州藩らと総勢3000人余りが出勤してきた。
生け捕り23人、池田屋の戦闘で失った浪士は宮部、大高ら大量20人にものぼる。
そして新撰組も3人の隊士を失った。


このページは【第13回think quest JAPAN】に参加しています。