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鳥羽・伏見トバ・フシミの戦い


1867年、徳川慶喜が大政奉還を行い、政権は幕府から朝廷へと移った。
後に薩摩藩などの武力を背景に朝廷でクーデターを決行し、
王政復古の大号令を発して天皇を中心とする新政府が誕生。


鳥羽伏見の戦いは、
徳川慶喜をヨウする旧幕府軍は大きく鳥羽街道方面と伏見街道方面に分かれていた。
新撰組や会津藩を主力とした幕府軍は、
薩摩や長州藩を主力とする薩長藩と鳥羽街道で衝突。
禁門の変や池田屋騒動などで幕府防衛の最前線に立っていた新撰組が、
初めて負けた戦でもある。


新撰組は幕府軍とともに京都に向け北へ進軍。
薩摩軍は東寺、長州軍は東福寺からそれぞれ御香宮神社、竹田街道まで南下して幕府軍を迎え撃った。
長州と新撰組の立場が逆転しただけでなく、
開戦直後に薩長軍は「新政府軍」として錦の御旗を掲げた。
この光景をみて、新撰組は愕然した。
敵が官軍で新撰組が賊軍になるとは・・・・・・


しかしここで檄を飛ばしたのは土方。
「ここで負ければ新撰組は終わる。人生が終わるのと一緒だ」
そう叫んだ。
その言葉を聞いた隊士らは薩摩の陣地に切り込んだ。
その時またしても薩摩陣地の御香宮の山から大砲の音が轟く。
日本の剣法が南蛮の大砲に負けた瞬間である。


この戦いで井上源三郎ら30数名の隊士を失った。


このページは【第13回think quest JAPAN】に参加しています。