ぜんざい屋事件
1865年1月、
大阪南瓦町のぜんざい屋に故郷の半を脱藩してきた土佐勤王党志士の残党は隠れ潜んだ。
その情報を聞きつけた新撰組の谷三十郎・谷万太郎ら4名がぜんざい屋を襲撃した時には、
土佐勤王党志士の多くは不在で、本多内蔵助と大利鼎吉しか残っていなかった。
谷らは大利を討ったが、本多は隙を見て逃走。
のちに土佐勤王党志士は大阪市街に火を放ち、その混乱に乗って大阪城を乗っ取るという計画を立てていたことが判明した。
しかし大利を討ったことによって浪士組はこのクーデターを断念し、
乗っ取られることはなかった。
このぜんざい屋事件は「大阪の池田屋事件」とも呼ばれ、
土佐勤王党志士に対する成果は得られなかったが、このぜんざい屋からは多数の武器弾薬が押収された。
この事件を扱った作品には司馬遼太郎作の「浪華城焼打」がある。