1868年1月に勃発した
新撰組は甲陽鎮撫隊と名前を変え、江戸へ出発。
甲州勝沼に到着した
甲府城には既に、新政府軍の中山道先鋒総督府軍が到着し、
甲府城を奪い取っているという知らせが入った。
その知らせに隊内は動揺した
。
特に戦争に触れたことのない江戸で参加した者は脱走し、
およそ120人までに減少した。
そこで局長である近藤は、すぐさま土方を援軍要請のために江戸へ向かわせる。
一方、土方を送り出した近藤は大久保剛の名で新政府軍に、
甲陽鎮撫隊は敵対する者ではないという使者を出す。
しかし新政府軍はこれを見破り、鎮撫隊に対して攻撃を仕掛けた。
敵の兵力は1000を超える。
しかし甲陽鎮撫隊と名前を変えた新撰組はおよそ120。
あまりの兵力の差にも懸命に戦ったが、
わずか2時間ほどで甲陽鎮撫隊は敗走することとなってしまう。