宇都宮城の戦い
1868年1月に勃発した
土方歳三を参謀とする旧幕府軍が、
下総市川の国府台から北上し会津へ向かう途中に起きた戦い。
旧幕府軍は激しい戦いの中、宇都宮城を1日で落城させることに成功した。
宇都宮城攻城戦の終わった頃、新政府軍と旧幕府軍の攻防の部隊は日光へ。
旧幕府軍は日光山に、新政府軍は宇都宮城を会津戦線の拠点として確保し、
宇都宮半もその一部隊として下野国内から会津方面まで転戦することとなった。
まもなく交戦が始まったが、日光山僧が新政府軍に戦役回避の嘆願を申し入れてきたため、
司令官は旧幕府軍に使者を送り日光山を下るように説得した。
旧幕府軍は負傷者も増え、疲労も増していること、物資が不足していることもあったため、
一度日光山を下りて会津にて再戦を決定。
それにより、日光は戦火を負わずにすんだ。
以後、北関東、北陸、会津を主戦場として北海道の五稜郭へと転戦することになる。