天満屋事件
1867年12月、近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が何者かに暗殺された。
土佐の同士は紀州藩公用人の三浦久太郎の意を受けた新撰組の襲撃ではないかと疑い、
仇討ちを決意した。
集まった土佐藩士は海援隊の陸奥宗光を率いる沢村惣之丞らと、
陸援隊の岩村精一郎を始めとする中井庄五郎ら総勢16名。
危機感を感じていた紀州藩は
会津藩を通じ、天満屋で三浦を斎藤一、大石鍬次郎を始めとする7名で護衛。
1月斎藤らは天満屋にて酒宴を行っていたところを陸奥らは来客を装い踏み込んだ。
最初に踏み込んだのは居合いの達人である中井庄五郎である。
部屋に踏み込むと早速三浦に初太刀を与え、右頬に軽傷を負わせた。
(頬ではなく、あごに傷を負わせた、という説もある)
そして海援隊・陸援隊は新撰組と衝突し、その場は修羅場となる。
16対7。新撰組の劣勢。
斎藤は三浦を安全な場所へと逃がした。
激しい戦いの末、
新撰組では宮川信吉、船津釜太郎が死亡。
斎藤一、中村小二郎、梅戸勝之進ら4名が手負いとなったが、
海援隊・陸援隊側の死者は中井庄三郎のみであった。