新撰組が池田屋騒動で名を上げた頃、
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もはや手狭で雑魚寝する隊士たちも出、近藤局長らは次の屯所として西本願寺に目を向けたのだ。
西本願寺境内に屯所を借り受ける話には土方、井上、斉藤、山崎らが交渉。
殺し屋集団を念仏道場に入れてはならない、と西本願寺はあの手この手を尽す。
土方は談判し・・・・・・というよりも脅迫に近く、暴言を吐いて威力を示した。
西本願寺は困り果て、
現金や贈り物、果ては祇園、島原の大料亭での色仕掛け接待で
しかし近藤は頑として言うことを聞かず、
山南は「僧侶を脅し、動静を探るのは卑劣。屯所は西本願寺以外にいくらでもある。」
などと静めた。
やがて西本願寺はついに屈服して本堂北の集会所新屯所に提供せざるを得なかった。
近藤はこのことを大いに喜び、「新撰組本陣」と看板を上げたのだ。
この集会所は普段は閉め切られ、全国の門徒が本山参りに使われていた六百畳敷きのもの。
移転した早速に大砲の空砲を轟かせ、
小銃の実弾射撃を繰り返したので参詣者を驚かせた。
法要にあわせるように大砲を轟かせたので、門徒は怖がって本山参りをやめたほどだ。