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震災当時、事故が起きてしまった福島第一原子力発電所内はどのような状況だったのでしょうか。なぜ原発事故が起きてしまったのかを調査しました。
1.福島第一原子力発電所は、2011年3月11日15時半頃に襲ってきた津波により、非常用の電源を喪失しました。また、地震によって外部からの送電も失ってしまいます。
2.そのため、制御室のモニターが使えなくなり、いつもモニターで把握していた内部の様子が把握できなくなってしまいました。その間に、原子炉では電源喪失によって安全のための非常用装置が作動せず、危機的状況が進行していました。
3.非常用炉心冷却装置が動かないため、燃料棒を冷却する原子炉の水位はみるみる減少し、炉心が露出。さらには燃料棒が崩壊の熱で溶けおちるメルトダウンが起こっていました。
4.冷却を急ぐための海水注入や原子炉の圧力を軽減するベントという作業も行われましたが、1,3,4号機は充満した水素によって水素爆発を起こす結果となってしまいました。
(↑イメージ画像(メンバー作成))また、状況がうまく把握できず、かつ放射線量上昇により原子炉に近づくことができなかった東京電力と、原発の仕組みさえ正確に把握していなかった政府の間では、情報伝達がうまくいっていなかったと推察されています。
政府側では、機械を用いて当時の南東風などを考慮した放射能拡散範囲を予測していたようですが、それが東電に伝わることはなく、避難指示にも反映されませんでした。
原発から同心円状に避難指示が出されたため、飯舘村や浪江町、川俣町などの一部地域は、結果的には被ばく線量が大きかったのも関わらず、当時は避難指示が出なかったり、被害が深刻とは考えられていなかったりしました。
東電側としても状況の把握が困難で、2011年3月11日21時頃、半径2km以内とされていた避難指示は、最終的には半径20kmにまで、(半径20km超の場所でも線量が高い地域は、「計画的避難区域」として避難を余儀なくされています。)屋内退避指示は半径20km〜30kmに及び、7年半経った今も帰還困難な地域があります。