歴史

目次

  • 日本人の価値観
  • 日本人と音の繋がりについて説明してます。
  • 生活騒音への政策
  • 日常的な騒音について昔と今の法律を出しながら説明してます。
  • 工業関連への政策
  • 工場の騒音について昔と今の法律を出しながら説明してます。
  • 海洋の音響汚染
  • あまり知られていない海洋の音響汚染について詳しく説明してます。

     まずは、日本が騒音というものに対してどのような認識を持っていたのか歴史を見ていきます。主に政治的な施策に基づいた歴史となっています。


    日本人の価値観

     みなさんもご存知かもしれませんが、日本人の美意識は豪華なものでなく緻密で繊細なものにあります。これは音に対しても同じで、静けさを重んじる傾向があります。 今でも秋に鳴く虫の声を聞いたり、森でそよ風にあたる木々のざわめきを聞いたりしますよね。

     これらは、他人への思いやりの心を大事にするという日本人独自の感覚です。 実際、アメリカや中国、イギリスのニュース記事で日本人が静かを好むことについて考察しているものがたくさんありました。

     しかし一方で、明治時代頃西洋では石造りやレンガ造りの家が多数でしたが、日本ではまだ木造がほとんどで、仕切りも障子など薄いものでした。 もちろん、このような環境は遮音性は小さく、音への意識も敏感になっていったと思われます。

    生活騒音への政策

     騒音には、人の生活によるものと工業によるものの2つに分類できます。ここではそれぞれわけて説明をしていますが、中にはどちらにも通ずる政策などもあります。

     前述のように、日本人は昔から静寂を好み、音への意識が高かったと思われます。そして建物の遮音性も低く、江戸時代の末期頃には騒音が問題になっていたと考えられます。

    違式詿違条例

     では騒音への政策はいつからあるのでしょうか。それはなんと驚くべきことに明治時代までさかのぼります。 明治5年に違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)というものが東京で制定されて、地方にも広がりました。

     この条例の内容は、簡単に言うと軽犯罪を取り締まるもので、この三年後に制定される旧刑法よりも多くの国民にとって身近な規定でした。

     この条例の中に、騒音に関する記述がありました。次の画像はは、実際の違式詿違条例の一部です。


    国立国会図書館デジタルコレクションより引用


    「街上ニ於テ髙聲ニ唱歌スル者但シ歌舞営業ノ者ハ此限ニ非ス」

    と書かれています。「聲」は「声」の旧字体ですので、街中で高い声で歌うことが規制されているとわかります。


    国立国会図書館デジタルコレクションより引用

    「夜間十二時後歌舞音曲亦喧呶シテ他ノ安眠テ妨ケ者」

    と書かれています。喧呶はやかましいという意味で、夜中12時以降にうるさくすることが規制されているとわかります。 この条例の内容は第二次世界大戦後の軽犯罪法にもつながることになります。


    軽犯罪法と騒音防止条例

     その後、東京で昭和12年に高音取締規則が制定されるなどしましたが、全国で大きく実施されたものは昭和23年に制定された軽犯罪法です。 この法律は現在もあり、刑法では規定されていない犯罪行為を取り締まるというものです。当時の騒音に関する記述の一部が以下の画像の左側です。

     しかし、法の規制力は不十分で、自治体独自の騒音防止条例が多く制定されることとなります。というのも、当時の日本は発展している真っ只中で、自動車のクラクションやラジオ、 拡声器による商業宣伝など都市での騒音がとても問題になっていました。

     実際に昭和30年前後に騒音防止条例を出した自治体の表はこちらです。


    canvaで作成

     東京や横浜、京都といった都市部で制定されているとわかります。また、大人数での騒音を規制しており、 これが基盤となり、現在の条例も制定されていきます。また、風俗の騒音に対しては1964年に風営法が制定されています。





    工業関連への政策

     工業事業場と聞いてもよくわからないと思いますが、工場や公共交通機関から生じる騒音のことです。この被害は、工業が発展した明治時代から生じていました。

    明治時代

     騒音への規制も、大都市では明治時代の初期から行われていました。工場や製造所、蒸気機関などは警察に出願し許可を得なくてはならないという制度です。 この規則の中で騒音への考慮も必要とされていました。また、労働の安全や環境については明治44年に工場法として成立しました。


    公害防止条例

     そして戦後になると、色々な自治体で公害防止条例が出されるようになります。1949年東京の「工場公害防止条例」に続き、1951年に神奈川で、1954年に大阪で「事業場公害防止条例」が制定されます。

     そして、四大公害病の被害の影響もあり、1967年に公害対策基本法が施行されます。この法律では大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭を公害としていて、 これらに対する対策を定めています。この頃から騒音が大きな社会問題となっており、数値基準が背訂されるなど対策が強化されていきました。


    環境基本法、騒音規制法

     その後、1993年により地球規模の環境を守るという目的で環境基本法が制定され、それに伴い公害基本法は廃止されます。 また、1967年には騒音規制法が制定されています。これらの違いについても、 騒音規制の法律で詳しく説明しています。




    海洋の音響汚染

     内容については問題のページで詳しく解説しますので、ここでは大雑把に流れだけを説明します。

    発端

     まず、アメリカでは1960年頃から海洋の開発が進められました。そして1967年からは国際的な開発へと発展しました。

     その中で生まれる音響汚染ですが、その危険性を訴える学者は当時からいました。海洋音響学の学者です。実は戦時中も軍事目的で船舶の音についての研究がされていたのです。


    政策

     しかし、人々が問題に関心を持つようになったのは2000年代からです。 きっかけは1995年に国際海洋探査委員会(International Council for the Exploration of the Sea: ICES)が低騒音調査船の標準となるレポートを発表したことです。

     2004年には国際海事機関(通称IMO)で船舶からの騒音が議題になりました。 2010年にISO小委員会などが水中騒音関係議題の検討作業を開始し、 DNV GL が船舶からの水中騒音に関する「SILENT」ノーテーション を導入しました。

     そして、2010〜18年頃、騒音に配慮した船舶が増加するようになります。しかし、今もなお一般の人々にはあまり知られていません。


     これが大きな歴史の流れです。これからさらに詳しく見ていきます。


    答え 江戸時代末期(初の政策は明治時代)





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