日本の冷凍技術の歴史

始まりは氷の採取

富士山麓には、溶岩の固まった後にできた「鳴沢氷穴」と呼ばれる天然の冷凍・冷蔵施設があります。 明治後期から戦後まで使われていました。 氷の採取や、蚕の卵の貯蔵庫、農作物の保管庫として、地域の人々の生活の中で利用されていました。

鳴沢氷穴の入り口 まだ融けていない氷
ふっさ

使用されていない今でも、氷は融けずに残っていますね。すごい!

海産物の鮮度を保つために

海に囲まれている日本では、昔から漁業が盛んに行われていました。 そんな日本にとって、海産物の鮮度を長期間維持することが近代まで大きな課題となっていました。

明治初期になると、日本のトロール漁船にはディーゼルエンジンが搭載され、遠洋漁業と呼ばれる新たな漁業形態が始まりました。 遠洋漁業とは、主に自国から遠く離れた海域(他国の200海里水域内や公海など)で行われる漁業で、漁船が港を出てから帰ってくるまでに50日~1年以上という長い時間を要します。 そこで、獲れた海産物を新鮮なまま港へ届けるために、冷凍技術が必要となりました。

しかし、明治日本の冷凍技術は他国に比べるとひどく遅れていました。 欧米では科学の進歩により、冷凍技術に役立つ法則などが見つかっていました。 そして他国が次々と冷凍技術を進化させていく一方で、日本は氷を使って海産物の鮮度を維持しようとしていました。 残念ながら、氷では当然限界があります。 この課題を解決するまでに、多くの年月を要しました。

1911年 オッデセン(デンマーク)が食塩水ブライン冷凍機を開発し、急速冷凍を実現する。
1919年 葛原猪平(くずはら いへい)が北海道に魚を冷凍加工する冷凍工場を建設する。同年に、国産の冷凍機が開発される。
1923年 ブライン式冷凍機が関東の工場に導入される。共同漁業が漁船に緩慢冷凍装置を導入する。
1930年 バーズアイ(アメリカ)がコンタクトフリーザーを開発する。
1933年 日本の漁船にコンタクトフリーザーが導入される。

このようにして、日本の水産業を支える冷凍技術が生まれました。

身近になる冷凍技術

第二次世界大戦後、第1次ベビーブームによる人口増加に伴い、食料の需要が増大しました。 また1955年には高度経済成長期を迎えました。 こうした社会変化の影響を受けて、長期間保存できる冷凍食品の需要が高まっていきました。 同時に、冷凍食品の品質管理に関する整備が進められていきました。

1950年代後半以降、現在の冷凍流通システムの基盤が築かれました。

1959年 食品衛生法を具体化した冷凍食品の規格基準についての厚生労働省告示が公布され、-15℃以下での保管が義務付けられる。
1965年 科学技術庁資源調査会がコールドチェーン勧告を行う。
1970年代以降 冷凍食品の流通保管温度を-18℃以下とする基準(Codex規格)が策定される。

冷凍流通システムが整備されていく一方で、1960~1970年代には家庭用電気冷凍冷蔵庫が普及しました。 多くの家庭にも、冷凍技術が広まりました。

1980年代には、食品をバラ凍結できるIQF(Individual Quick Frozen)冷凍機が開発されました。 冷凍チャーハンや冷凍ピラフなどが発売されると、業務用食材として冷凍食品を活用する動きが外食産業に急拡大しました。 当時のファミリーレストランや外食チェーンでは、複数の店舗の食材加工・下処理を1か所でまとめて行い、各店舗に輸送することで、調理の手間を省いてお客さんへの料理の提供をより早くするためにセントラルキッチン方式が採用されていました。 冷凍技術は外食産業にも盛んに取り入れられるようになりました

その後も食料需要に応えるため、魚介類の保存や輸送現場での冷凍技術も向上していきました。

  • 品質維持が困難だった甲殻類を注水冷凍する手法の開発
  • 大型の切り身の急速冷凍による全国流通の実現
  • 超低温保存でマグロの身の褐変を防止する手法
  • 魚介類の冷凍変性を抑える物質の発見

こうして、日本の魚介類の流通・品質は1980年代までに大きく改善されました。 現在使われている冷凍技術の基礎はこの時期に完成したといえます。

まとめ

日本の冷凍技術の歴史は明治初期の遠洋漁業に始まり、以後の約100年間で大きく発展しました。 戦後、社会環境が変化していく中でも冷凍技術は変革を続け、私たちの生活には欠かせないものとして定着しました。