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ディスカッション

私たちは今回本サイトを制作するにあたり、子どもの権利を脅かしている様々な現状を調査してきました。その中で、「ブラック校則」の項に着目して、校則の是非についてディスカッションをしました。また、私たちの学校は中高一貫校で、校則というものがほとんどありません。そういった立場から校則のあり方を考えてみると面白いのではないかとも思い、この題材を選びました。

ここでは、4人のメンバーが2人ずつ「校則があるほうがいい派」と「校則がないほうがいい派」に別れてから議論しました。WとSが「校則があるほうがいい派」、YとRが「校則がないほうがいい派」です。

テーマ:「校則はあるほうがいい?それともないほうがいい?」

W

校則はあるほうがいい。逆にないほうが大変だよ。例えば、僕たちの学校は校則が実質的に中学生のスマホの使用禁止しかないわけだけど、スマホを授業中に使って反省文を書くことになったりするケースはある。

S

そうですよね。特に中学生には強い校則を導入するほうがいい気がします。

W

そう。ないと規模の大小を問わず多かれ少なかれトラブルが起きることは必定だし、まともな学校生活を送ることが難しくなる。それこそ全体の秩序が守れなくなる事態に陥りやすくなるかもしれない。

Y

いや、校則はないほうがいいと思う。例えば、実際、服装とか髪型、髪の色とかの校則はよくあるけど、そういう校則を守っていない人が問題を起こすとは限らないよね。さっき、Wはスマホの問題を例としてあげていたけど、何も必ずしも髪を染めている人とか服を着崩している人がスマホを授業中に使ったりしているわけではないというのが事実としてあるわけだし。髪を染めていなかったりする人、一見真面目そうな見た目の人でもスマホを使っている人はそれなりにいるイメージ。

R

それはそうだよね。今ある見た目を縛る校則って非行に走る人を髪の色とか服装に結びつけて管理しがちだよね。なんていうか、問題の根源をすり替えてるような。非行という行為自体に問題があるはずなのに、その人の服装とか髪とかをことさらに問題視してる。

Y

そう、そんな感じ。現代にしてはあまりに専制的に押さえつけてる。秩序を維持しようとしてるんだろうけど、それでは生徒は納得しないよね。

R

ないところで大きな障害はないっていうのが個人的な考え方。確かにWの言うようなスマホの問題とかが校則がない場合には一定数起きるわけだけど、ある意味それは本人だけの問題であって、そういうことをして叱られるっていうのも社会経験として大事かなと思う。最初からルールをただ守るのではなくて、自分で考える力がつきそう。

Y

そうだね。

S

確かに、校則について考える上でそういう服装とか髪型とかに過度にこだわるような、いわゆるブラック校則のようなものは当然良くないし堅苦しいですよね。

W

それはそう。一概に校則自体が善か悪かという以前に、個人的にはブラック校則を無くすべきで校則自体は必要っていう考え方。

S

やっぱりそうですよね。僕もそんな感じの考え方です。もしかすると、校則というものは外から見た時の学校のイメージを下げないようにしたり、保つような役割があるのかもしれませんね。

Y

確かにそういう面も校則作りの上ではもしかしたらあるのかもしれない。

W

それは一理あるかも。保護者とか地域の人とかがクレームを言ってくるから過度に生徒の行動を縛るようなブラック校則を作らざるを得ないっていう側面があるのかもしれない。そう考えると学校側も結構苦渋の選択に立たされている。

S

周りの人たちから見たときにイメージという面で立場上必要な可能性は大いにありますね。

R

結局のところまとめると校則全部が一概に良いものか悪いものかっていうよりもやっぱり個々の校則の内容ごとに善悪を判断すべきってことだね。

Y

さっきないほうがいいって言ったけど、個人的にはそれに近いっていうのが正しいかも。一概には言えない面があるのも事実。合理的でちゃんと意味がある校則とか論理的な目的がある校則とかは必要だよね。浜松市の小学校だとほとんどの学校が登下校中ヘルメットを生徒につけることを義務化してる。これは転倒した時とかに頭に怪我を負わないようにするためにあるルールで、ちゃんとしっかりしたロジックのもとに作られてる。こういうものは校則として残り続けるべきだと思うし、これは必要性のあるものだよね。

W

確かにそういった校則は必要。個別的に考えていくのが一番大事。

S

逆に下着とか靴下の色とかそういったものをいちいち決めるのは校則として非合理的ですよね。他にも例えば、高校生らしくいなさい、とかも基準が曖昧でわかりずらい感じがします。こういったものは悪い校則と言えるんじゃないですか。

R

あと、校則作りの時に大事な視点として、先生側と生徒側がしっかり話し合うってことも必要なんじゃないかな。そうすることで生徒に必要な校則が何であるかより深く把握できるし、生徒の理解も得やすい。相互の理解のもとに校則づくりを進めていけたらより円滑な学校運営ができるし、校則本来の目的である秩序の維持もできると思う。

Y

そうだね。そういうことをすると、他にも校則を時代に合わせてブラッシュアップしていけるっていう利点もあるかもね。伝統だと考えて、それに縛り付けられることで校則を昔から全然変えてないっていう学校も相当数あるはずだし。そういう旧態依然な部分を打破できそう。

W

まとめるなら、必要なものは必要、不必要なものは不必要っていうのが結論だね。

Y

基本的にはないほうがいいけどね。それが一番生徒の自由を尊重できるし、子どもの権利の面から言っても理にかなってる。でも現実的に考えて、全く一切ないっていう状態になると、色々と実害も出てくる。だからやっぱりさっきRが言ったように先生と生徒が互いに話し合っていくっていうのが現時点で最も理想的。あとは先生がしっかりと指導を通して生徒にその校則の目的を伝えるのも大事。あんまりそういうことをしていないのが現状な気がするし、それゆえに両者のすれ違いが起きてしまうんじゃないかな。

S

そうですね。指導を通じて生徒が自分で考える能力を育むっていうのが一番な気がします。両者のすれ違いが校則が善か悪かという問題自体を生み出しているのではないかとも思います。

W

それには賛同する。ただ、逆に校則があんまりない状況で、実害が出てきたら校則をたくさん作らなければならなくなるシステムだけどね。両者の信頼のもとに成り立ってるっていうのがこれの原理だし同時に弱い点とは思うけど。

R

社会に出たら校則みたいな身近なルール自体がなくなる。まあ法律っていう社会全体のルールはあるけど、それは明らかにやってはならないことを示したようなもの。校則みたいに社会的な軽いマナーを示してるものはなくなって、そういうことは全て自分たちで考えることになる。だからこそなるべく軽めな校則の方が生徒が社会に出た時に些細な物事の善悪を考える時の間接的な一助になる気がするけどね。


ディスカッションを終えて

最終的に、「校則はあるほうがいい?それともないほうがいい?」という議題の結論は、一概に全てをまとめては決めることはできないという結果に達しました。ただ話し合った結果、WとSの「校則があるほうがいい派」とYとRの「校則がないほうがいい派」は、現状よりもこの問題を前に進めることができると思われるいくつかの改善策をまとめました。それは、

個々の校則ごとに良し悪しは決めるべきということ
・校則は基本的にはないほうがよい(特にブラック校則)が、合理的または論理的なものはあったほうが良い
・先生と生徒が話し合い、両者の理解の上に校則を作っていくことがよい
子どもの権利を尊重した上で、将来的に生徒の考える力を育むことができる校則がよく、そのためにも適切な指導が必要

の4つです。こういったことが実現できれば、校則というものが現状よりも論理的で現実に即したルールになり、多くの生徒がその目的を理解して校則を守るようになるのではないでしょうか。そして生徒が臨機応変に様々な物事について考える力というものが養われ、将来に役立てることができるのではないでしょうか。

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